はりこのほのぼの日記

ほんのちょっとの記録から・・・

どう頑張っても、消えない記憶。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

おはようございます、はりこです。

オリンピックがいよいよスタートしましたね~✨最初はどうなることやら…。という感じではございましたが、無事開幕できて良かったっていう気持ちとコロナどうするの?という気持ちが半々ですが。まず、選手の皆さんが悔いなく終われることを祈っています👍

 

さ、本題にいきましょかっ!

今回もお題をお借りして、話を進めていきますね~👧

 

「記憶に残っている、あの日」ですが、私は一つしかありません。それは…

 

東日本大震災です。

 

暗い話になるかもしれませんが、しっかりとこのブログにとどめておきたいので、気長に読んでいただけると幸いです。

 

2011年3月11日、14時46分。その大きな地震は起きました。

私はその時、卒業式の練習の真っ最中。ひな壇に乗っているときにその地震が来ました。ありえないような揺れと同時に、日本は終わった、家が潰れたかもしれない、飼っていた犬は生きていないかも、両親やおばあちゃんも無事ではないかもしれないと、いろんなことがあの一瞬でよぎりました。

揺れが収まったかと思ったら、また大きい揺れ。これがずっと繰り返される地獄は、もう二度と味わいたくないようなものでした。

 

教室に戻り、自分の荷物を持って、また体育館に避難。

皆がぎゅっとなって固まっている間に、だんだんとたくさんの人が避難してきました。

そして夕方、夜になるにつれて同級生やほかの生徒は親が迎えに来てくれていましたが、私の親は中々来ませんでした。

18時ぐらいかその頃、ようやく母親が迎えに来てくれました。その時の安心感と感動は今でも忘れられません。母は職場から学校まで徒歩で来たと言っていました。車で大体30分程の距離です。

 

家に帰るまでのあの道のりがこんなにも遠くに感じたのも、この時が初めてです。道路には車が立ち往生、看板や壁がはがれまくっている。そんな光景を目の当たりにしつつ、無事家に到着。

玄関を開けて飛び込んできた光景は、愛犬が出迎えてくれたことでした。うちの犬が家を守ってくれた、そうとしか思えませんでした。

 

そこから長い夜の始まりです。

布団を敷いて、そこで母と私と愛犬で過ごしました。ラジオから聞こえる情報はまともではなかったです。だって、「沿岸部で死体が200体ほど浮いている」や「気仙沼で火災発生」など、頭で想像し得る範囲を超えていたからです。

そして外を眺めると、空一面の綺麗な星。こんなにも空と現実は違うのかと、どこにもぶつけられない感情が沸々と込み上げてきました。

 

そして一夜明け、その後は家の掃除、親戚皆が私の自宅に一斉避難。

そして3日後。テレビを付けた瞬間のありえない光景。原発事故映像。

 

何もかもが他人事のように感じるぐらい非現実的なものでした。

 

ここまで一分一秒の記憶が残ってるっていうのは、凄いことでもあるし、どうやっても消せない記憶でもあるからです。

 

 

いや~長々と失礼しました。

でも、せっかくだからこのブログに残しておきたかったのです。この記憶を忘れないためにも。

 

 

日本は地震大国なので、今後も大地震が起こるかもしれません。その時に備えて準備しておきましょう!

 

では、今日も皆さんにいいことがありますように…🌟